猫目の気まぐれ

2010年12月26日

ニコニコ動画で人間の顔をなくした作品

Mask1_xenia.jpg
photo by enia

Ohnuma Sound Lab. blog  年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html

記事一部抜粋

最近「ミリしら」というのが一部で人気であります。
「1ミリも知らない〜」みたいなのの略で、「曲を全く知らない」と言う設定で、カラオケに対して自作の歌詞とメロディをのっけて歌うわけです。
<中略>
本当にいい歌詞だと思うなら、本当にいいメロディだと思うなら、それを大事にするはずなんです。
そういうことをせずに、曲名だけそのままに、歌詞やメロディをすっかり変えて、あたかも「俺もアーティスト!」みたいな顔でアップされると言うのは、作詞者・作曲者に対する一種の冒涜ではないでしょうか?

有名歌い手の皆さんは大体、有名Pが曲を出したり急に伸びる曲があったりすると、その曲をこぞって歌います。
「感動したので」という免罪符を説明文に入れて、みんな揃って歌います。
ひどい人になると、毎回毎回説明文に「今回は感動して、○○を〜」とかタイトルに「感動して」という言葉を入れたりします。
本当にそうなんでしょうか?

無論、そういう「歌ってみた」を許容しすぎたこのボカロ界隈にも多少の責任はあると思います。
ボカロから音楽活動をはじめた人も多く、そういう人たちは「他の人が歌ってくれた!」と手放しで喜んでしまう状況になる場合が多いからです。
それが結局ハイエナ行為の横行になる事も気づかずに…



ニコニコ動画でボーカロイドで曲を公開する人と、その曲を歌って公開する人の間には
大きな溝があるみたいです。

この原因は、
その作品の先に人間の顔をイメージできているのか。

ではないでしょうか。

ニコニコ宣言
第四宣言 ニコニコはネットサービスをユーザと双方向につくりあげる作品として提供します

「人間の顔をした作品としてのネットサービスがわれわれが目指すものです。」

とあります。


ニコニコ動画は動画コミュニケーションサイトです。
動画とその動画につけられたコメント。そしてそこから派生して新たな動画ができます。
それらをもって、ユーザー同士がコミュニケーションをすることにより
今まで新しい文化を生み出してきました。

そのなかで、ボーカロイドというジャンルは幅広い分野に影響を与えてきました。

レーベルから発売されてる曲は、権利違反だけどボーカロイド作品は全部フリー。
無料で公開しているのだから、自由に使っていい。

と思われているのが僕が感じる印象です。


ニコニコ動画は動画コミュニケーションサービスなので、二次利用または三次利用はごく当たり前に行われています。
だけど、その使っている作品の先には必ず人がいることを忘れている人が多いと思います。
無料で公開されていたからって、自由に使っていいという意味ではないのです


今回紹介した記事は、コメント欄が凄く荒れています。
そのコメントの先に人がいることをちゃんと理解しているのでしょうか。


人間の顔がないコンテンツは存在しません。


コンテツを作った人が笑顔になっているのか泣いているのかというのは、
人によって捉え方が違うので難しいことです。

でも、その先に人間の顔があることは忘れてはいけません。


料理を作ってくれた人の目の前で、その料理に唾を吐く。

それと同じことをしていないか、考える必要があると思いました。


権利について、ニコニコ動画で新たな問題が露出した記事だと思います。
記事を書いた人は、多くのアンチや叩きに睨まれ、それに真正面から向き合わなければいけない。

僕も似た経験があるけど、それって凄く体力使うんですよね。

でも、彼の記事は多くの人に読まれてみんなが考えるきっかけになったのは確かです。
少しでも広めようと、記事にしました。
posted by 猫目 at 00:36 | 神奈川 | Comment(7) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本来創作においても他者との交流は重要なものですよね。
誰しも他人との比較によって相対的に自分の立ち位置を確認するわけですし。
それだけに彼の問題提起に対して中傷的なコメントが返されているのを見ると悲しくなります。
Posted by at 2010年12月26日 00:53
今回大福Pは料理を作ってくれた人に対して唾を吐いていることを無視した人が多いですね。あなたもまたそうなのかもしれませんが。彼は作品を作った人間をハイエナ認定している、という事実もまた無視されてますね。

彼の基準でマナーがモラルが、と他の表現者に押し付けるのは勝手ですが、それは彼自身もそれを押し付けられる(ひいては表現活動の足かせになる)ということをわかってなさそうです。

さらに言えば、こうやったものが続けば「日本的な、空気を読んだ」最大公約数的な空間ができ、それに適応できない人は排除されますね。まあ、それが彼の望みなんでしょうけど。

正直、いち表現者(こうしてコメントすることもまた、自由の庇護のもとにしています。あなたをリスペクトしているかどうかは想像に任せます)として言わせてもらえば、他人の表現に唾を吐いたり、作品が自分の意に沿わないからと相手を不健全な人間と断定するのは、居心地が悪いのですべての人間にやめてもらいたいというのが本音です。

表現と敬意というのは独立したものであり、関連していません。それを関連づけたときから、「不健全なものの規制」が始まります。最近どこかで聞いた話ですね。

内心の自由も保障されているのですから、心のなかでハイエナと思ったり、それを口にする自由もあります。しかし、それを聞いた人がどう思い、どう行動するかも自由なのです。

他人の目を意識する、顔色をうかがう、配慮する、これだけで表現は強く規制されます。私には、彼が自由だからああいった活動、今回の発言ができるんだ、という自覚がないのだとおもいます。彼なりに言ってみれば、「自由に対するリスペクトが足りない」ということです。

意見を尊重しろ、というのは勝手です。しかし、それを尊重しているかどうか判断するのも、彼の勝手なのです。

正直、よく聞く意見なのですが、こういう発言が出るたび、彼らには傲慢だな、という感想しか。
Posted by えーと at 2010年12月26日 14:22
>>えーと様
大福Pの発言に対してですが、あれは彼個人の意見であって、けして意見を押し付ける物ではないと思いますよ。

他人の目を意識する事、配慮することによって表現が規制されるとのお言葉ですが、相手への配慮なき自由な表現の場があったとして、それは魅力的でしょうか?
表現と敬意は独立した物ですが、すべての創作の後ろに製作者がいる以上、その双方ともなくしてはいけない物だと思います。
Posted by at 2010年12月26日 15:32
>>3番目のコメント様


うーん、そうじゃないんですよ。「マナーが悪い」という発想自体がおかしいのです。マナーは各人の自発的なものでしかないのだから、それを悪いと言い切り、集団の質の低下を嘆き、質の向上に努めようという意見自体が、同じ集団(ボカロ、歌ってみた、ニコ厨全体)に属する相手に押し付けているようなものなのです。


もちろんすべての人間がそうじゃない。しかし、現状に満足しない人がいて、「俺はみんなのマナーに満足しない」というのですから、気配りしていた人も、関心もなかった人も、より強い配慮を要請されるのです。自発的に。

ましてや彼はツイートで界隈の人数が減ってもいいからと前置きして、比喩とはいえ死んでくれないかな、と発言してるのですから。

そしておそらく彼がもっとも誤解してることだろうと思うのですが、相手に配慮が見られなかったからと言って、自分のほうが立場が上になるわけではないのです。彼の言動は明らかに相手を蔑んだものです。
配慮の有無は人間関係の優劣にはなりません。ましてや、創作物の優劣などもっての外です。

だいいち、彼のブログにある「本当に感動しているのでしょうか?」というのはそれこそ相手に対する配慮がない。感動の表現として気にくわないようですが、同じ穴のなんとやらですね。


>相手への配慮なき自由な表現の場があったとして、それは魅力的でしょうか?

配慮があれば居心地はいいでしょうが、それは快楽の問題でしかなく、自分の作品を肯定してくれる人が多いから、というのとさして変わりません。
マナーなど無きに等しい、それでも心がけている人もいる2ちゃんねるが、いまだ場として機能しています。それを魅力的だと思う人もいるということです。


あくまで、清濁併せ呑む器量の問題です。彼は受け止めきれず、限界に来てしまった。
それについて真摯に考える人も、適当に流す人、もともと配慮のある人、ない人のどちらも、これからピアプロやニコニコ動画は彼らを受け入れます。

集団の構成員に、質だの純度だの求めることは、いずれ自分の首を締めるでしょう。老害老害と叫ぶ彼らは、立派な老人になれるでしょうか?見物ですね。

多様性を損ねる言動は、社会を全体主義に推し進めます。そこに自由はありません。
Posted by えーと at 2010年12月26日 16:56
>>えーと様
確かにマナーは自発的な物かもしれません。しかし、「各人が持たなければならない最低限度のマナー」はあると思うのです。
無断で曲を歌ってアップする様な「自由」は何の多様性も生みませんし、その様な「敬意なき歌い手」は排他されるべきだと考えてしまうのです。
私的な経験ですが、この様な歌い手さんはとても多いですし。

Posted by at 2010年12月26日 19:16
>>5番目のコメント様
3番目と同一の方であるとして

>「各人が持たなければならない最低限度のマナー」はあると思うのです。
それを日本では「配慮」というのです。配慮はマナーと同じと見做されてますし、時にルールと同じようにさえ見做されるときもあります。

もうこの点に関しては平行線ですね。この質問を最後に残します。

「美術の展覧会に、便器に自分のサインをしただけのものを作品として出品した。これは芸術を冒涜し、品位が無く、また便器を製作する企業ないし個人に対して敬意がない行動か。」




>無断で曲を歌ってアップする様な「自由」は何の多様性も生みませんし

これ以降はすべてあなたの「器量」の問題です。なぜなら、理路が見えず、ただの感情論に終始しているからです。
自由を保障することこそ多様性の容認につながり制約ばかりを求めた集団がどうなっていったかというのは戦前日本、戦中ドイツを振り返れば明らかだと思うのですが。
ガス室に送り込めないだけまだマシというか、大福Pがそういう立場にいないだけまだ穏やかだったというべきか。


>その様な「敬意なき歌い手」は排他されるべきだと考えてしまうのです。

ムラ社会だの村八分だのいう前世紀的なオキテは、多様性を損ね、全体主義に走り、さぞ息苦しかったでしょう。
質の高い(と仲間内で思い込んでるだけですけど)人間が今のニコ動にどれだけいるかなぞ興味もありませんが、配慮に富んで居心地のいい場で、作品の評価も賛成ばかりの人間だけの集団なんてのは、わたし一個人の感想で言えば、つまらない。

出来レースを見ている、といえばわかりやすいでしょうか。あるいは、お偉い方の作品をしもじもの鑑賞者がありがるような環境みたいな。
今のクラシック、現代音楽界隈や、字面通りの「芸術」界隈はまさにそんな感じですが。

まあ、大福Pがああいう主張をするってことは、こういう風通しの悪い空間が欲しいってことなんでしょうけどね。


あ、次の返信には返事を書きませんよ。上に書いたとおり、もう堂々巡りですから。

それではごきげんよう。
Posted by えーと at 2010年12月26日 20:12
>1さん
コメントありがとうございます。
引用もとのブログ記事のコメントには残念なものもありますが、
多くの年齢の方がいて中には小学生も存在するので感情的なコメントがあるのネットではしょうがないことだと思います。


>えーとさん
コメントありがとうございます。
ある程度の自由は確かに尊重するべきことです。
彼が言っているのは著作者人格権の侵害に関することだと思います。作り出した作品は作者と一体です。作品が汚されれば、自分を汚されたことになります。
この記事は、敬意に関してルーズすぎる現状への警告だと考えています。
どこまでが敬意を持った作品なのかと問われれば、人それぞれなので難しく、下手に規制すれば表現の自由は失われます。
しかし明確な答えはでなくとも、作品にも人格があることを意識していくことは大事だと思い今回の記事を書きました。
人と人ですから、誰もが納得する答えというものはないに等しいので、難しい問題ですね。

他のコメントは私宛でないので、返答を控えさせていただきます。
Posted by 猫目 at 2010年12月27日 00:04
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

[ニコニコ動画]ボカロ文化においての原曲へのリスペクトについて
Excerpt: はじめに 参考リンク Ohnuma Sound Lab. blog  年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動 ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えて..
Weblog: 論理的なアイディアはまだかい?
Tracked: 2010-12-26 11:00
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。